『都市を耕す エディブル・シティ』を観て〜世界森会議2017

『都市を耕す エディブル・シティ』上映会の準備
食が遠くに離れてしまった地域(貨幣経済が強くはびこるシティ)。
食が遠くに離れていこうとしている地域(貨幣経済に強く巻き込まれようとしているワルリの村(インド)をはじめとした発展途上国の農村部)という差はあるにしろ、人間と自然、経済や教育の関係性を考えると、根底で問題は共通しているのだと思います。

昨日、『いのちの食べ方』(2005年/製作・監督・撮影ニコラウス・ゲイハルター)を観ました。ご覧になった方、いますか?90分、台詞なし。もはや匿名となった食べものの生産現場を撮影している。まだであれば、是非見てほしいです。レンタルされています。映像的にもきれいで、ゆえに不気味、でも、これが現実、と知れる。
これが、発展の先の一つの帰結なのだと思いました。

そこに至った人々=シティなのか、そこに至ろうとしている人々=ワルリなどの農村部、なのか、その違い。
シティに暮らす人々も、地方の村に暮らす人々も、2017年という同じ面の上に生きている。もし両者に差があるとしても、それは時間軸的なもので、「行き着く先」は同じ線上にあるのだと思います。

今、岐路に立っているワルリの人々、他のインドの農村部の人々が「発展している」国に暮らす人々が、野菜を育て始めている、ということを知ったら、自分たちの暮らしが遅れたものなのではなく、最先端(=というか、最も自然な形)なのだと気付くことになると思います。『幸せの経済学(The Economics of Happiness)』(2010年/The International Society for Ecology and Culture (ISEC)製作)の映像の中で、インド・ラダックの女性たちが、アメリカの老人ホームに一人で孤独に暮らす人々のもとを訪れ、自分たちの暮らしの価値を見直したように・・・。

ノコプロジェクトを通して、ワルリのみんなに伝えたいのは、彼らが現代に遺す暮らし、土間や家のことを、ひと周り回った僕たちが「尊い」と思っていること。
日本から参加するみんなには、彼らの暮らしから自分の足元を見直すきっかけになると伝えたい。

日本の僕たちとワルリの人々が、同じ時代に暮らす仲間として、家庭菜園や、エディブルスクールヤードの取り組みを互いに伝え合えたらとても良いし、励みになると思うのです。支援というスタンスではなくて、友人、という関係性の上で。

24日の上映会では、シティと農村部がどちらもつながっているということ、同じ線の上にたった互いの状況を伝え合う場が世界森会議なのだと思っていることを、参加されるみなさんとの対話で確認したいです。(okazu)